【トラウマ克服体験記】そらの瑠璃色’s blog

〜癒された人生が豊かに輝きだす〜【現状打破&未来好転・闇の先にある光まで受け取りにいく】

トラウマ克服【第16話】愛着障害〜得体の知れない傷の正体〜

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愛着障害(アタッチメント障害)とは・・

様々な要因で母親を代表とする養育者と子供の間に【愛着】が上手く芽生えない事により起こるとされ、情緒や対人関係に問題が生じる。

 

・・・

幼い頃の私は『癇癪持ち』『手に負えない子』の代名詞。

 

私がそういう子だったから、母は私を乳母さんに託し続けていたのだろうか。

【第3話参照】

 

私の『養育者』は両親も含めると、、通算10名くらいになる。

それは、一見『みんなに可愛がられていいね。』と美談で終わりそうな話だが、、

『愛着対象者』が、それだけコロコロと代わったということでもある。

 

それは、どういうことかというと、、、

 

『この人は、私を守ってくれる。』

『この人、大好き。』

『この人なら、私の言ってることを聴いてくれる。』

『この人は、すっと私の味方だろうな。』

『この人は、私を大切に扱ってくれる。』

『この人が居てくれるから、安心。』

『何があっても大丈夫。』

 

といった【愛着】が芽生えた、、と思ったら、、

 

目の前にいたはずの『愛着対象者』が去っていくということだ。

 

『芽生えかけた愛着』は、全て、、無かったこととなる。

 

・・・

 

そしてまた『新しい人』と、0から『愛着』を築こうとするけれど、、

愛着が芽生えてきた頃に『愛着対象者』は去って行くのだ。

 

いつしか物心がつくと、、短期間で『愛着』を貰うために

『どうしたら気に入られ可愛がられるか。』を考え、自分の本音を押さえ込む。

『愛着対象者(養育者)』の顔色を読み行動する事を覚え、妙にお利口になる。

 

・・・

 

子供の【愛着障害】の傾向には、二つのパターンがある。

 

【反応性愛着障害

・養育者へ安心や慰めを求める為に、抱きついたり、泣きついたりすることがほぼ無い。

・他の子供にも興味を示さず、交流しようとしない。

・笑顔も少なく、無表情なことが多い。

 

【脱抑制型愛着障害

・あまり知らない人にも、ためらいもなく近づく。

・まだよく知らない相手にも馴れ馴れしくしたり、抱きついたり慰めを求めたりする。

・落ち着きが無かったり、乱暴になったりする。

 

【両方に見られる傾向】

・頑固・強情・意地っ張り

・手に負えないわがまま

 

・・・

何故そうなるのか。

 

簡単だろう。

 

いつ去って行くかも知れない。又は、愛なんて示さない養育者(愛着対象者)には、怖くて素直な自分を出す事なんてできないのだ。

だから

・・・意地を張って・・誤魔化す。

・・・わがままを言って・・試す。

 

『この人は、私をどこまで受け入れてくれるのだろう。』と無意識レベルで思いながら、、『今度こそは受け入れてもらえますように。』と願いながらも、、

 

【相手が受け入れ難いような行動】をする。

 

そうやって、、自分の表現の仕方を間違う【悲しいすれ違い】を繰り返す。

 

・・・

 

だいたい5歳くらいまでの環境で『愛着』の土台が形成されると言われている。

 

【安定した愛着】をもらえた子は【幸せになっていく土台】をプレゼントされたようなものだ。

自分がどうであろうが、、自分に何が起ころうが、、

いつでも、、どこからでも、、【愛着によって築かれた安心】を得ることができる

【安全基地】が用意されているのだから。

 

それは、一生を支えると言っても過言ではない素晴らしいギフトだろう。

 

・・・

 

本来なら、、子供はそんな【素晴らしい愛着=安全基地】に育まれながら成長していく。

 

・・・

 

しかし、【愛着を築けなかった子】は、大人なるにつれ【生きづらさ】に悩まされる事となる。

 

・・・

 

どんな【生きづらさ】かというと。

【愛着対象者は去っていくもの】という不安が常につきまとう【生きづらさ】だ。

 

・・・

私の中に潜んでいた【得体の知れない傷の正体】の一つは、そんな『愛着障害』。

 

私の根底には【愛着対象者は去っていくもの】という意識が潜んだ。

しかし一方では、人一倍【愛着】が欲しくてしょうがないのだ。

 

そんな相反する心は、悲しい悪循環を生み出す。

 

・・・

 

【愛と思われるもの】に出会うと、、【愛着】に飢えているので、、すぐに飛び込む。

そして、必死になって『愛と思われるもの』を失わないように献身的に尽くす。

その心の中は、、こうだ。

 

『私からは、どうせ、みんな去って行く。やれる事は全てやらないと、、またすぐに去って行ってしまう。』

『元々、私が愛されるなんてないのだから、ちゃんとしなきゃ。』

 

そして『愛を失いそうな不安』にかられると、更に自分をないがしろにして尽くす。

そうやって、年ごろになると、、『都合のいい女』に成り果てるのだ。

 

『嫌われたくない』

 

せっかく手に入れたかも知れない【愛着】の片鱗を失う訳にはいかない。

 

だけど、残念ながら、、

そんな『都合のいい女』は都合のいいようにしか扱われない。

自分を大切に扱っていないのだから、大切に扱われる訳がないのだが、、本人は必死すぎて分からない。

 

そして、虚しさに悩み苦しむ時に始めて自分には【愛着によって築かれた安全基地】なんて無かった事に気付く。

 

考えれば当たり前。

ありのままの素直な自分で向き合い育む【信頼関係】を築いていないのだから。

 

 

このようなことは愛着障害のほんの一例で、

愛着障害】は以下のような弊害も生むと言われている。

 

・自己肯定感の欠落

・自己表現の阻害

・自分を守る力の欠損

・コミュニケーション上の困難・誤解

アイデンティティー(存在証明・自我同一性)構築への困難

 

これらが常に自身の内側に同居するので、そんな自分を責めながら心を蝕む。

よって、【愛着障害】を根底に持っている事で、二次的に心身症にも悩まされる事も多い。

 

・・・

 

かなり絶望的な気持ちになるが、、思い出す事にしよう。

 

『傷は、まず知ることで、癒すことができる。』

 

長年、心の片隅に潜んでいた『得体の知れない傷の正体』は【愛着障害】。

 

そして、その傷を癒やしていく為には【安全基地となり得る愛着をもう一度築き直す事】が必要。

 

・・・

 

欠落していた【愛着】を築き直す為に『傷』の声を聴く。

 

『どうしたらいい?』

 

・・・

 

『自分の素直な気持ちをちゃんと声に出していくんだよ。』

 

・・・

 

赤ちゃんが泣く時のように、、

 

『寂しかった。』

『そばに居て欲しかった。』

『大好きだった。』とあの時、言えなかった気持ちを声に出していく。

 

そこが安全で安心な場所なら、、今まで言えずに押し込めてきた気持ちも、、ありのままに表現できるだろう。

 

まずは、今、思い当たるそんな場所で

【愛着】を築き直す為に、赤ちゃんだった頃から、、やり直そう。

 

 

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トラウマ克服【第15話】〜傷を知る〜『心から血が流れている。』

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私は『泥の中からでも花を咲かせる』と決めたので、今まで目を背けてきた『心の傷を知る』作業を始めた。

・・・

もう、きれい事で取り繕うような日常には飽き飽きしたし、偽りの自分で生きたところで何の喜びも感じない。だから、まずは『ありのままの心にある傷』を見つめてみようと思ったのだ。

 

『傷を知る』ためには、目を背けたくなるような汚点もありのままに受け止めなければならない。

『心を見つめて、、さらにその奥に隠された傷を知る。』作業には根気がいる。

一人では、、煮詰まるし、、そもそも、目を背けたくなるような汚点と思っている『傷』なのだから。決して楽しい作業ではない。

 

それでも『傷』に向き合うのは、その傷を糧に『自分らしい花』を咲かせ、新しい力で闇から光を放つため。

だから、その光の源となる『傷を知る』ことは大切。

 

・・・

 

しかしながら、、『心の傷』はパッと見えるものでもない。

 

・・・

 

例えば、自分の目の前に転んで血を流している人がいたら、、きっとすぐに駆け寄り、できる限りの力で助けるだろう。

それと同じように、、『心の傷』もすぐに助けられたらいいのにと思ったりする。

 

・・・

 

もしも私達の『心の傷』が鮮明に目に見えたなら、、

 

『心の傷、、痛そうだよ。大丈夫?』と言って、すぐに何があったのか、、話を聴く事だってできる。必要ならひどくなる前に、病院に連れて行ってあげることだってできる。

そして、その『心の傷口から流れる血』が見えたなら、、

私達はもっと簡単に、もっと堂々と『心の痛みや辛さ』を言葉にできるのにと思う。

強がる事なく、我慢する事なく『力を貸してほしい。』と相談だってしやすくなるのに、、残念ながら、、『心の傷口から流れる血』は見えない。

 

・・・

 

だけど、想像することなら出来る!

 

例えば、私はセラピーのカウンセリングで想像している。

 

心に向き合う恐怖や頑張り過ぎの強がりで、クライアント様のアクションがそれ以上進まない時などに、、

『心から血が流れているのが見えます。』とお伝えする。

クライアント様は一瞬キョトンとされるが、、さらに具体的に想像しながら、、一緒にその傷を思い起こしていくと、、

『心の傷口』と『流れている血』が、お互い、、多分同時に、、見えた!と思う瞬間が訪れる。

そんな中で、、

 

『もし目の前に、そんな感じで血を流している人がいて、、その人を放っておくことができますか?』と聞くと、、

 

みなさん即答で『放っておけません!!』と声を大きくして言われる。

 

・・・

 

『その放っておけない人が、、今の貴方です!』

 

とお伝えすると、やっと、、今まで我慢してきたであろう涙が溢れる。

それは、長年放っておかれた『心の傷』が、やっと見つけてもらえて『安心した』瞬間の涙。

 

・・・

 

まず『傷』を知らなければ、傷口を癒すことも出来ない。

 

『心の傷』は想像しなければ見えないけれど、体の傷と同じように『心の傷の回復』にも、、まず『痛かったよね。でも、ちゃんと手当てをすれば回復するから大丈夫だよ。』という視点が必要不可欠だと思う。

 

その『傷を知り想像する視点』があれば、、どんな古傷であっても必ず癒せると私は信じている。

時間を超え、自他の絶妙な関わり合いの中で、癒され回復してきた『心の傷』を私も経験したし。

セラピーの場で、長年抱えてきた『心の傷の核心』に触れ癒しが起こった時のクライアント様の瞳の輝きは、、

まるで、傷口にかさぶたができ、やがて丈夫な新しい皮膚が生まれてくるような、、力強い再生の瞬間と同じような感動を秘めていた。

 

そんな『心の傷が癒えていく時の感動』を知っている私も、、昔、、『苦しんでいる人の力になりたい。』と最初に思った時には、、かなり悩んだ。

そもそも自分自身が『得体の知れない心の傷』に苦しんでいたのだから、、

『こんなにも情けない自分が、セラピーやカウンセリングに関わろうなんて、身の程知らずで分不相応。』と思った。

『それこそ、、自分の心の傷はどうなんだ?』という話。

 

・・・

 

だけどそれと同時に、以前言われたこんな言葉も思い出した。

 

『自分が情けなくなる程、苦しんだ分、人の苦しみも分かるんじゃないの?』

 

・・・

 

『泥まみれの冴えない私』の新しい可能性が見えた。

一度きりの人生、、私はその可能性の方を信じてみようと思った。

 

その時、心の中で神様に祈った言葉も覚えている。

 

『こんな私ですが人様の心にも向き合うことを許してください。』

『こんな私だからこそ届けられる癒しをちゃんと伝える強さを下さい。』

 

・・・

 

思い起こせば、、自身が耐え難い苦しみの中にいた頃、探したのは、立派な理屈や自己啓発ではなく『辻褄の合わないメチャクチャな私』をそのまま受け入れてくれる優しい居場所だった。

 

『私の中に新しく生まれた可能性』によると、、私だからこそ、私が探したような居場所を創ることもできるということになる。

 

どん底で、長いこと苦しんできて良かった。

自分の心も傷だらけの血だらけで良かった。

その分、人の傷口にも手を当てて、、癒せる可能性が増えたのだから。

 

・・・

 

そんな自分の体験からも思う。

私達人間には『傷を知り、押し込めていた苦しみを癒していく居場所』が必要。

 

だから、『目には見えない心の傷』を想像しよう。

心の傷は、気づき、知ってもらえたその瞬間から、、手当てができるのだから。

 

・・・

 

『貴方の心から血が流れている。だけど、治るから大丈夫だよ。』と、、

情けなくて冴えない私だからこそ、大きな声で言っていたい。

 

 

 

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トラウマ克服【第14話】〜暗闇で見つけた光は生きる力〜『泥の中から花を咲かせたい。』

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以前、作って忘れ去っていたアロマキャンドル

ほこりをかぶって、ある日突然出てきた。懐かしい感じがするもの。

 

私が『暗闇で見つけた小さな光』もそんな感じがした。

 

ずっとずっと放っておかれて、、火を灯してもらうこともなく、、ほこりをかぶっていた。

それは、目を向けられなかった『心』。

命に宿されてきた『本質』。

『私らしさ』や『君らしさ』。

 

きっと、、それらは、神様からのギフト。

そして、、そこは聖域。

 

だから、どんなに泥にまみれようとも、、汚されはしない。

そう何度でも言いたい。

 

・・・

私の場合で言うと、、

望まれない出生。臨死体験。事故。性的虐待。解離。愛着障害。フラッシュバック。

間違った自己実現。ドブ金を使わせてしまった自分。

 

どれもが『汚れた自分を連想させてしまうもの』だが、、

そんな私でも『小さな光』を見つけられた。

小さくとも温もりのある光を暗闇の先に、確かに見つけてきたのだ。

汚されてはいなかった『命が宿す本質』の部分から放たれる『光』。

 

『私は私を諦めたくない。』

『私は私らしい命を諦めたくない。』

 

・・・

未来が見通せたから、、前を向けた訳じゃない。

何か得を見つけたから、、前を向けた訳でもない。

ただただ、、『命そのもの』が発する『光』に救われ、、前を向けた。

 

・・・

 

それを、、彷彿とさせる私と母のやり取りがある。

 

・・・

一人目の子供がまだ幼かった頃。

 

『責められることしか無かった私』の『子育て』もまた、、同じように責められることが常だった。

 

だから、子供に何かあれば、、

 

『あなたが〜だから、こうなるんだ。』が、決まり文句。

 

・・・

『子育て』をもっとちゃんと頑張ろうと思う気持ちとは裏腹に、私は理解しずらいフラッシュバックの毎日に、自分自身のコントロールすら失っていた。そして更に思考を混乱させた『解離』※や『愛着』※の問題を癒す場所も、見つけることが出来ずにいた。

 

(※解離・・・本来1つにまとまっているはずの記憶・意識・知覚・自我同一性[アイデンティティー]などの感覚をまとめる機能が失われた状態。)

(※愛着障害・・・養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、情緒や対人関係に問題が生じる状態。)

 

人間関係にもゆきずまっていた当時の私は、繰り返されるその決まり文句に、、絶望し、、死を選びそうになった時がある。

 

・・・

 

母が、いつもの調子で『あなたが〜だから、こうなるのだ。』と私に指摘しだす。

 

・・・

 

今までの蓄積だろうか、、その日は、、言い返す気力もなく、、

 

・・・

 

『私が関わるとそうなるから、私は居なくなった方がいい。そしたら、全部上手くいく。私は死んだ方がいい。』

 

『いってきます。』と普段の挨拶をするように言って、、階段へ向かった。

 

・・・

 

座っていた椅子をガタンと倒しながら立ちあがった母が、、私の腕を強く引っ張り、、言った。

 

『○○ちゃん! 死ぬ気があるのなら、、どんなことでもできる!! 生きていける!!』

 

妙に腑に落ちた。だから、あっけなく『そうね。』と言った。

 

・・・

 

母が私の名前を、あんなにしっかり呼んでくれたのも、、初めてだった。

『心』に響いた。

 

・・・

 

母自身は、中学生の頃に母親を病気で亡くしている。

家事や妹の世話などで苦労したことや、母親が居ない毎日の虚しさや悲しかった話を、いつだったか、、聞いたのを思い出した。

 

母は『命のお別れ』を、、私より早い時期に経験している。

きっと、、私なんて、、まだまだ甘ちゃんだ。

当時中学生だった母は、、死にたいくらいの虚しさや寂しさを抱えながら生きていたことだろう。

 

そして、とっさに私に言った言葉を繰り返していたのだろう。

 

『死ぬ気があるのなら、、どんなことでもできる!! 生きていける!!』

 

・・・

 

追い詰められた、、それでも力強い、、その言葉は、母の『命に宿された本質』から出た『光』だ。

 

私が母の決まり文句に、、死を選びそうになったその日、

母が暗闇の中で『心の中心に灯してきた光』にも救われた。

 

・・・

 

やはり、どんなに辛い境遇に見舞われようとも、、

その人をその人たらしめる『本質』は、汚されたりせずに、、『光』を放つ。

そして、その光が、、誰かの命を繋ぎ止めたりする。

 

 

・・・

 

今、自殺者が増えている。

様々な事情を抱え、死を選んでいく方々を『なんで?』と責めることなどできない。

 

だけど、助けが間に合ったなら、、と悔やんでしまう。

 

・・・

 

『条件付きの愛の鎖』は、人を追い詰める。

『愛や実力を測る条件』なんて、この世から無くなってしまえばいいと私は思う。

 

辛い状況に毎日が思うようにいかない時でも、、

『貴方の存在自体が大切』なのだと伝えたい。

『だから、命が尽きるその時まで、、生きてほしい。』と伝えたい。

 

どんな状況からでも、、私達は小さく灯る『光』を見つけられる。

それぞれが放つその『光』を重ね合わせ、、『希望』を生み出すことだってできる。

 

・・・

 

それでも死を選ぶしかなかった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

最後に自書を引用させて頂きます。           

               

            

             〜蓮の花〜

 

淡い色をまとい

清らかに 力強く 花を咲かせている

蓮の花よ

 

あなたが根をおろす場所は 泥水の池

それでも あなたは まっすぐに茎を伸ばし

その先に

こんなにも優しく温もりのある花を 咲かせている

 

泥水の中でも 決して泥に汚れる事は無い

あなたのその強く美しき心よ

その心を

花にたずさえて

あなたは祈っているのでしょう

 

私達が

泥水の中に居たとしても

決して心まで汚さぬように

まっすぐにこの命を伸ばせるように

 

あなたは朝を告げるように 花を開き

太陽が高らかに昇る頃には 花びらを閉じている

 

花びらという目を閉じ 祈りながら

この世界を感じているのですか?

騒々しいこの世界へ

祈りを届けているのですか?

 

それならば

あなたが目を閉じている間

 

私達はこの世界にある 希望の方を

探してみたい

 

そうできるように

あなたは

次の朝が来るまで 閉じられた花びらの中

祈りを捧げてくれるのでしょう

 

次の日の朝に

祈りと希望を持ち合わせ

また

あなたと逢えたなら

 

私も 泥水の中から

力強い花を咲かせることもできるでしょう

 

あなたのように 私も

暗い泥水の中

まっすぐに命を伸ばし

その先に

淡く優しく温もりのある花を 咲かせたい

 

祈るように生きたあなたは

最期の時

太陽が高らかに昇る光の中

花の命を満開にして 散ってゆく

 

淡く優しい色に

最期の光を溶け合わせ

美しく力強く去ってゆく

 

あなたの命は 泥水の中から生まれた

力強い神聖な心

どれだけの人を励まし 希望を与えたことか

淡い色をまとう美しい蓮の花よ

 

その祈りを受け取り

私も 泥水の中

清らかに 強かに 美しく

命を咲かせ

 

いずれ あなたの元へ

 

 

『平気なふりをしている心へ』

そらの瑠璃色 

幻冬舎メディアコンサルティング)より抜粋。 

 

 

私達が、繋がりあい、絡み合い、癒し合い、支え合いながら、、

泥水の中からでも、、それぞれの美しい花を咲かせられますように。

 

 

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トラウマ克服【第13話】『環境を変えても切れない鎖』〜それでも見つけた小さな光〜

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鎖に繋がれた象の寓話をご存知でしょうか?

 

・・・

サーカスに連れてこられた小さな子象がいました。その子象は、サーカスの調教のために、鎖で杭に繋がれて毎日を過ごします。

もちろん、子象は好奇心旺盛。杭に繋がれた鎖を、引き抜こうと、、もがいた時もあったはず。しかし当時は、小さいから力も無く、、鎖で繋がれた杭を引き抜くことはできませんでした。子象は、、いつしか、、その鎖に争うことを諦めてしまいます。

・・・

時が流れ、、子象は、、立派な大人の象になります。大人の大きな象にとって、鎖で繋がれた杭を引き抜くことは、、簡単です。

それなのに、、大きくなってもこの象は『自分には、、鎖についた杭を引き抜くことなど出来ない。』と思い込んで、、何の抵抗もしなかったという寓話です。

 

・・・

このような現象は『学習性無力感』と言われています。

 

長期にわたって、ストレスから回避困難な状況に置かれた人や動物は、、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるといった現象です。

 

・・・

私は、この『鎖につながれた象の寓話』を聞いた時、他人事とは思えませんでした。

 

『今のままでは、、鎖につながれたまま、自分の人生を無駄にしてしまう。』

 

・・・

 

とにかく、、『ここから』逃げよう。

 

虚無感しか生まない『ドブに染まった自分』がいた場所から逃げよう。

 

・・・

私は、とりあえず、、短大に通いながら一人暮らしを始めます。

 

『重たい鎖』を切って環境を変えられた!

これで全てが明るく開けていく!

『ドブに染まった私』を知る人がいない環境で、私は自由になれる!

 

・・・

 

しかし、私の『一人暮らし』は、、危険なアンバランスの中を彷徨うような日々の始まりでした。

 

・・・

 

今まで抑圧してきたものが、、一人になったことで溢れ出し、得体の知れない影に怯えました。

 

でも、、生まれ変わって生きていくのだから、、もうそんな影など関係ない!

 

私は、それらを見ないようにして、、少女漫画や雑誌の中の『憧れていたあの子』のようになろうと試みます。

 

・・・

『操り人形』に徹したあげく『ドブに染まった私』にとって、、

『私』とは、元々存在していないようなものでしたから、その試みはすんなりいくものでした。

 

だから、私はごく自然に決心します。

 

・・・

 

『あの子になろう!』

 

・・・

 

『あの子のようになれたら、大切にされるし、毎日が楽しくなる。そして、、幸せになれる!』

 

『あの子のようになれたら、、全ては、、上手くいく。』

 

今思えば、、この言葉こそが、、私にかけられていた『鎖』なのです。

 

・・・

 

『条件付きの愛の鎖』

 

〜のように振る舞ったら、、愛される。

〜を達成できたら、、愛される。

認められ、愛され、安心を得るためには、、幾つもの条件がつく。

 

だけど、そうやって得た愛は、、とても脆く、、決して心を温めるようなものではなく、、枯渇感や不安を駆り立てるもの。

 

それらは、、条件を満たせなくなった瞬間から、、崩れ去っていくもの。

 

・・・

 

だけど、、当時の私は、そんな自覚もなく、、求められる『条件』さえ満たせば、、幸せになれると思っていました。

 

だから

 

私は、『憧れていたあの子』の条件を満たすことで、、一刻も早く、、惨めで、情けなくて、虚しい『ドブに染まった私』から『幸せな私』になろうとします。

 

・・・

 

手取り早く『あの子』が着ているような洋服を着ました。

 

鏡を覗き込むと、、心の中で声がします。

 

・・・

 

『ブサイク。 あの子みたいに、、素敵じゃない!』

『全然ダメ!』

 

・・・

 

次は、ダイエット。一刻も早く、、『あの子』の条件を満たしたくて、、どんどん過激になったけれど。

 

・・・

 

鏡を見て、、

 

『あの子みたいに綺麗じゃない。』

『全然ダメ!』

 

・・・

条件を満たすために努力しても、、終わりのないダメ出し。

 

それは、よく考えると当たり前のこと。

そもそも『私と憧れのあの子は違う人物』なのだから。

だけど、『条件付きの愛の鎖』に囚われていた当時の私にとっては、、『条件を満たすこと』こそが『承認や愛』をもらえるかも知れないチャンスに見えていたのです。

 

・・・

 

しかし、、どんな洋服で着飾ろうと、、ダイエットをしようと、、

鏡越しに見える自分は、いつだって、、醜くて、恥ずかしいものでした。

 

『私はどうあがいたって、、ドブの中。』

 

20年程の時間を費やして実現させた自分が、、『ドブに染まった自分』なのだから、、しょうがない。

周りの華やかな雛形には、、『収まりつかなかった自分』を受け入れるしかありませんでした。

 

『重たい鎖』が何重にも巻きついているかのような気だるさと『現実と噛み合わない心と体。』

 

・・・

 

だけど、私はそんな暗闇を照らす『小さな光』にも気づきます。

 

『鎖がついた杭』を自分の意志で引き抜き、逃げてきたという事実。

私が自分の意志で初めて選んだ一歩。

 

先行きは、、不安定だとしても、、それは、、小さくても確かな光でした。

 

それは、、浮き立つような眩しい光ではなかったけれど、、

何度打ちのめされても、、私の中心に、ろうそくを灯すような希望を届けました。

 

暗闇を、、小さいながらも、、照らした希望の光。

 

・・・

 

『諦めたくない!』

『自分を、、諦めたくない。』

 

・・・

胸の辺りで、、疼くような情熱を感じました。

私が『命に宿してきた本質』が、、疼いたのでしょうか。

 

そう信じざるを得ない程の疼くような情熱だったのを覚えています。

 

・・・

 

私は自分の胸の奥の『小さな光』を信じることにしました。

その光を信じて進めば、、いつか『私らしい私』にも、、再び出会える。

 

『ドブの中にいたとしても、、私の本質までは汚せない。』

 

・・・

 

『本質』とは、、『そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。』

哲学的に言うならば、、『あるものを、それたらしめるもの・本来そなえている真の性質。』

 

ドブの中からでも『私らしい本質』を救い上げるからね。

私の中心に灯された小さな小さな光に祈るように誓いました。

 

 

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トラウマ克服【第12話】『あなたに使ったお金は、ドブ金。』かけられた重たい鎖。

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前述した『マズローの5段階欲求説』は、、苦楽があったとしても、、周りに支えられながら、、

『生理的欲求』→『安全・安心欲求』→『社会的欲求』→『承認・尊厳の欲求』

→『自己実現の欲求』→(自己超越)と進んでいく。

 

・・・

私もそうなるように努力した。だけど、その『自己実現への道のり』は健全ではなかった。

 

両親の『安心』を満たすために、自ら『操り人形』になって『承認』を得ようとしたのだから、到底、、自分自身を満たせるはずもなく不安に駆られる日々となる。

 

そして、さらに『承認』してもらう為に私が焦点を合わせたのは、、両親、引いては、、先祖代々から『受け継がれてきた高い目標』。

 

『その目標を達成すれば、、私も認められる!』

『きっと、両親の誇りになるだろう!』

 

・・・

『受け継がれてきた高い目標』が、私の中で『絶対叶えたい目標』になった。

目指すのは、、一二を争う難関学部。

 

・・・

不器用で、、空想家、、のんびりしていた私は『人が勉強していない時に勉強しないと追いつかないよ!』と言われた。

 

中学生だった私は、素直に納得した。

その結果、、部活も禁止。友人とのお出かけも禁止。電話も取り継いでもらえなくなる。だんだん、交友関係も希薄になり誘いも無くなった。

 

楽しみは、、テストの点が良い時だけ買ってもらえた少女漫画と雑誌。

少女漫画や雑誌の中の可愛らしい女の子に憧れていた。

 

・・・

『目標を達成したら、、私にも、、こんなに楽しそうな世界が待っている!』

 

目の前にもあったはずの楽しい体験を全てお預けにして、、ひたすら机に向かった。

不器用で要領が悪いのだから、、これでも足りないくらいだ。

 

勉強部屋をたまに見にくる母が発破をかける。

『一分一秒が勝負よ。その積み重ねで差がつくのだから。』

『うん。わかってる。』

自分を追い込んで、、取り憑かれたように勉強した。

 

中学までは、5教科オール5は当たり前。

進学校に、滑り止めなしで合格。

勉強ばかりしていたので、、とても簡単な高校受験だった。

 

・・・

でも、、そんなやり方が長く続くはずがない。

高校に入ってから、、私はまもなく、、壊れてゆく。

 

進学校には、文武両道の頭の良い子なんて普通にいる。

そんな子達が楽しそうに、、青春を謳歌していた。

 

私はというと、、コントロールできない不調に困惑した。

今思えば、この頃から、、トラウマのフラッシュバックも起こり始めていた。(※第4話参照)

もちろん、、成績も、、急降下。

だけど、何とかして、、高校生としての生活についていこう必死だった。

 

・・・

ある日の授業中、過呼吸気味になった私を、隣の席の子が保健室に連れて行ってくれようとした時、先生が大きな声で言い放った言葉に、、、心が折れた。

 

『そうやって仮病を使って、、人の勉強の邪魔をするな。保健室なら、、一人で行け。』

 

・・・

 

悲しくて、、虚しくて、、、笑えた。

 

・・・

 

かけ込んだ先の保健室の先生は『甘え』だと言った。

 

・・・

 

『居場所がない。』

 

・・・

 

朝起きると、、吐き気がして、、体調不良を伝えると、、母が言う。

 

『どうして、、そんなに弱いの!? しかりしなさい!気合いが足りない!わざとやってんの?』

 

ここにも、、、『居場所が無い。』

 

・・・

 

吐き気がしている自分を、、制服に、、押し込んで、、登校した。

 

最後の砦は、、、

 

『私には目標がある。』

『その目標を達成したら、、全て、、報われる。』

 

その一心で、、灰色な高校生活を終え卒業した。

関学部にこだわった受験は、もちろん失敗。

 

敷かれたレールの上に用意されていた浪人生活を始めるも、受験勉強どころではなく、、心身の不調を悪化させて燃え尽きた。

 

・・・

 

そんな私に、母が言った。

 

・・・

 

『あなたに使ったお金は、、ドブ金。』

 

・・・

 

あまり覚えていないが、、母は冗談ぽく言ったのだろうか。

母も、、母なりに燃え尽きて、、思わず出た言葉だったのだろうか。

 

私は冗談だと思いたくて、、笑って、、その場をしのいだ。

ただ、、不安定な私の中に、、その言葉は100%で入ってきた。

 

・・・

 

『ドブ金』とは、、無駄なお金の使い方を指して言う言葉。

『〜は、お金をドブに捨てたようなものだ。』のように使う。

 

・・・

 

代々受け継がれてきた目標をこれぽっちも達成できなかった私は、、

何の役にも立たなかったのだ。

 

『安心』も『承認』も崩れさり、、最後に、、ドブに染まった。

 

・・・

 

私が、、20年程の時間をかけて実現したのは、、、

 

『ドブに染まった自分』

 

それは、以後、、『重たい鎖』となって、、私にのしかかってくる。

 

 

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トラウマ克服【第11話】『自己実現』へ向かう時、私は過ちを犯した。

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心理学に『マズローの欲求5段階説』という理論がある。

 

そのマズローの理論によると『人間の欲求』にはピラミット状の序列があり、低次の欲求が満たされるごとに、、もう一つ上の欲求を持つようになるそうだ。

 

『人間の欲求』を低次のものから並べると以下のようになる。

 

①生理的な欲求

②安全・安心の欲求

③社会的な欲求

④承認・尊厳の欲求

自己実現の欲求

(⑥自己超越の欲求)

 

・・・

 

一番下の生理的欲求から上に向かってクリアしていくことで、、最終的には自己実現・超越していけるというものだった。

 

自己実現! 自己超越!』

 

自己肯定感が低かった私は、、全てを解決してくれるようなその言葉に飛びついた。

 

『それを達成できたら、、幸せになれる!』

 

・・・

 

だけど、そこには、、幸せではなく、、消耗しか生まないパラドックスが潜んでいた。

 

・・・

 

私は、、表面的には、、何不自由なく見える。

生理的欲求は勿論のこと、、安全・社会的・承認・自己実現まで、、まるで満たしているかのように見えていたみたいだ。

 

私が『現状が満たされない。』といった類の発言をすると、、

『恵まれているのに、、感謝しないとダメだよ。』や『そんな環境に不平不満を抱くなんて、、世間知らずよね。』みたいな話になることが多かった。

 

・・・

確かに、、安全が守られる家があり、社会的に学校に行き、結婚・出産、、承認もされているじゃないか、、、『自己実現できているでしょう!?』

 

幸せそうなのに不満や疑問を口にする私は、、強欲の塊のように見えたのかも知れない。

 

だけど、、私は、、いつもパラドックスの中にいた。

 

・・・

前述したが、、私には、家庭の事情で他人様に育てて頂いた期間が長くある。それはそれで、とてもありがたい愛の形だった。しかし、その弊害として、、血縁関係の中で、自分だけ、、いつも浮いた存在に思えた。

 

そこを埋めるように、、私は、極度に『両親に気に入られる』ことで自分の存在価値を見出すようになる。

 

両親の希望を満たすことを、自身の使命にした。

両親の夢が、、私の夢になった。

 

私は、自ら『操り人形』になることで、、その場を『安全・安心』な場所にした。

 

『社会的欲求』も両親が望むような社会的地位になるようにインプットした。

たまに姿を現す自分の願望には、、それに従えば、、悪い結果を招くのだと暗示をかけた。

 

両親の『ほら、言う通りにしたから、うまくいったでしょ。この位で済んだでしょ。』という言葉を何度も落とし込んだ。

 

そして、、その言葉に『ほんとだよね。』とお利口に言うことで、、『承認欲求』を満たしてきた。

 

果てしない、、果てしない、、承認欲求。

満たしても、、満たしても、、不思議と、、枯渇する。

 

そこには『私自身の安心』など無く、、不安に苛まれた。

 

それもそのはず、、そこにあったのは『両親の安心』だったのだから。

 

・・・

 

私は、『両親の安心』を満たすことで、、自身の『承認欲求』を満たしていた。

 

・・・

 

満たしているつもりでいた。

 

だけど、、満たしたと思った『承認欲求』には、、主語となる『私』はおらず、、

両親の承認を得るたびに、、私は『自身の尊厳』まで、、失っていった。

 

・・・

 

私は、、過ちを犯した。

 

その場の『安全』を得るために、、自分を大切に守るための『安心』を手放した。

両親の『承認』を得るために、、自分を肯定するための『尊厳』を手放した。

 

・・・

 

そんな状態で、、心から幸せに『自己実現』なんてできるはずもないのだ。

 

 

・・・

 

最近、、小学校の読み聞かせに行った機会にこんな話を聞いた。

 

『今の子は、、自己肯定感が低い子が多い。』

 

・・・

 

私は、、思う。

自己肯定感が低い子は、、私を含め、、昔からいたし、、大人でも、、その問題に苦しんでいる方はたくさんいる。

 

ただ一つ違いがあるとするなら、、

時代を経て、、情報化社会を生きている今の子たちは、、学びが深まった分、、賢い。

 

だから、周りの大人が気づけるくらい、、

ちゃんと、、助けを求めている!

ちゃんと、、自分の中に生まれてくる違和感に素直に反応している!

 

そんな子供たちの小さなSOSは、、子供たちが、、

自分自身の『安心』や『尊厳』を守り『自身が満足できる自己実現』のために頑張っているという証拠だろう。

 

・・・

 

大人になった私にできることがあるとするなら、、

 

子供たちの小さなSOSを目にした時に、、

 

『ありのままのあなたで大丈夫だ。』とその子が心から『安心』できるまで伝えること。

 

『誰が何と言おうと、、何があろうと、、何もできない時でも、、あなたが生きていることが希望そのものなのだ。』とその子自身の『尊厳』を伝え続けること。

 

そして、、

 

私がハマってしまった『自己実現』に潜むパラドックスを連鎖させないように、、

『私』を主語にした『安全・安心』と『承認・尊厳』に満ちて、、生きる姿を見せることだろう。

 

 

私たちが生きる世界が、、心からの喜びが散りばめられたものになりますように。

 

 

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トラウマ克服【第10話】『我が子が届けてくれたのは、私の人生の忘れ物。』

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今思うと、、我が子は、、『私の人生の忘れ物』を、、届けてくれていた。

それは、、遥か昔に、、封印した、、忘れ物。

 

・・・

赤ちゃんは、、自分の欲求が満たされるまで泣く。

だから、オムツを変え、お腹を満たし、抱っこをする。

そして、ウトウトしてきた赤ちゃんをそっと寝かしつける。

 

だけど、、我が子は、、すぐにぐずり、、泣き出した。癇癪を起こした。

 

最初の子の育児では、この一連の動作を、どれだけ繰り返せば良いのか、、と途方に暮れた。

 

・・・

『何で、、こんなにやってんのに、、ぐずるの?』

『この子、、おかしいんじゃない?、、違う。こんなメチャクチャな私が育児なんてするから、、こうなるんだ。』と心の中で繰り返し、、憂鬱になった。

 

いつ崩壊してもおかしくないような精神状態の私がいて、、

そんな私に育てられることになったこの子が、、やはり、、惨めに見えた。

 

かといって、、惨めなこの子が、それを感じなくて済むくらいの包容力なんてものは、持ち合わせていなかった。

 

・・・

だから、、その子もまた、、不安定。よく泣き、、よく癇癪を起こした。

 

・・・

だけど、、私じゃない誰かが、抱っこすると、、打たれたように眠ったりした。

嬉しそうに笑ったりした。

 

・・・

 

『何故?』

 

・・・

 

今なら分かる。

 

その当時の私はきっと、、ロボットみたいなものだっただろう。

温もりというものが無く、、意思疎通がなく、、冷たく、、機械的

 

・・・

お母さん、、といえば、、

抱っこした我が子を、、愛おしそうに見つめ、、言葉なんてまだ話さないその子に、、話しかけ、、ニッコリ微笑む。

背中を、、優しくトントンとしながら、、微笑むのだ。

 

・・・

私もそうしなきゃ、、危機感みたいなものに後押しされ、、真似をした。

 

だけど、、子供は、賢く、正直なのだ。

 

そう真似したからと言って、、ピタッと泣き止んだり癇癪が落ち着いたりすることは、、もちろん無かった。

 

私のロボットみたいな冷たさは見抜かれていた。

 

・・・

 

『何で、、ママは、、ロボットみたいなの?』

『何で、、欲しがっているものを、、満たしてくれないの?』

 

・・・

 

『この子が、、欲しがっているものは、、何?』

 

分からなかった。

 

・・・

 

分からない日々の中で、、

ロボットの私は、、ある日、泣き叫び癇癪を起こすその子に、、耐えかねて、、叫んだ。

 

『何で、、こんなにやってんのに、、泣くの!?』

『何で、、こんなにやってんのに、、癇癪を起こすの!?』

『いい加減にして!!何様のつもり?? 何でそんなに、、わがままなの!?』

 

・・・

 

感情なんて無いはずのロボットの心を、、我が子が、、掻き乱す。

そして、怒り、、叫ぶ。

 

その叫んだ言葉の裏に、、『私の人生の忘れ物』が見え隠れした。

 

・・・


『私は、泣こうが癇癪をおこそうが、、抱っこしてもらえなかった!!』

『あなたと同じ位の歳の時、、私なんて、、お母さんと一緒に居られなかった!!』

『私だって、あなたみたいに、、わがまま言いたかった!!』

『あなたは、、お母さんとこうやって居られるのに、、贅沢すぎる!』

『贅沢すぎる、、贅沢すぎる、、』

 

そんな言葉を、数回繰り返し、、それでも泣く我が子を見て、、気づく。

 

・・・

 

この子とあの頃の私は、、変わらない。

 

・・・

 

ロボットのように機械的に抱っこして、、

意思疎通もなく、、義務的に世話をする私の側で、、

この子もまた、、母親を探していた。心細かったし、不安だっただろう。

 

母親という役の心の通わない冷たいロボットに抱っこされていた娘。

 

彼女は、、母親の側に居られずに泣いていたあの頃の私と変わらない。

 

・・・

 

もう、、『私の人生の忘れ物』を認めることにしよう。

 

目を背けたくなる程の本音を認めることにしよう。

 

・・・

 

『本当は、、愛おしく抱きしめて欲しかった。』

『あなたが、、生まれてきてくれて良かったと言って、、安心させて欲しかった。』

 

・・・

 

そしたら、もっと自然に、簡単に、愛着という宝物を我が子に、、与えられたはず。

そしたら、もっと自然に、彼女を愛し、安心させてあげられたはず。

 

・・・

 

我が子が、泣き叫び癇癪を起こし、、欲しがていたいたものは、、

『安心感』だったのであろう。

 

優しい温もりに包まれるような『安心感』。

 

・・・

 

そして、小さな我が子が届けてくれた『私の人生の忘れ物』もまた『安心感』だった。

 

・・・

 

我が子の泣き声を聴きながら記憶を呼び起こす。

 

小さな小さな愛着でもいい。

それらをたくさん集めたら、、私だって『安心感』に包まれていた瞬間を思い出せるだろう。

 

もしも、、思い出せないなら、、今からでも、、この子と一緒に創り出してゆきたいと思った。

 

・・・

 

不安がっていた娘を、、もうロボットをやめた私が、抱っこする。

 

・・・

 

体温が温かい。娘の柔らかな手。

その小さな手が、私が忘れてきた『安心感』というものを、、教えてくれた。

 

・・・

 

時間はかかっても、、私だって、、彼女に『安心感』を与えてあげたい。

 

そうできるように、、

 

彼女が届けてくれた『私の人生の忘れ物』に、心の中で、私の名前を書いた。

 

もう、、二度と、、失わないように。

そして、、私の中のそれを、、分けてあげられる人になれるように。

 

 

 

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